みちのく歴史紀行、伊達騒動-3、伊東七十郎の壮絶な死は、時空を超えて伊達兵部を打った
伊達綱宗が隠居した後は、大叔父の伊達兵部宗勝(一関藩主、政宗十男)、田村右京宗良 Read More
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みちのく歴史散策街歩き
伊達綱宗が隠居した後は、大叔父の伊達兵部宗勝(一関藩主、政宗十男)、田村右京宗良 Read More
綱宗の隠居により、嫡男の亀千代(伊達綱村)は、僅か2歳で家督を相続し、叔父の一関 Read More
仙台藩二代藩主伊達忠宗は、嫡男光宗の死後、側室である櫛笥氏の子、伊達綱宗を後継と Read More
この時期、伊達氏は伊達政宗が輝宗の跡を継ぎ、人取橋の戦いで佐竹氏を退け、破竹の勢 Read More
六代持詮の代には、和賀氏の同族争いに、稗貫・斯波・南部氏などとともに、公方大崎氏 Read More
大崎氏は清和源氏足利氏の一門で、斯波氏の分かれである。建武年間のはじめ(1334 Read More
宮城県名取市の道祖神社は、藤原実方に関わる伝承があり、近くには「実方中将の墓」も Read More
岩手県盛岡市の榊山稲荷社の境内は、朝鮮通信使をめぐる国書改竄の罪により、盛岡に配 Read More
文治5年(1189)、鎌倉の源頼朝により奥州藤原氏は攻められ滅亡した。しかし、平 Read More
盛岡市の南外れの住宅地の中に、人知れず立っている石塔は、かつて南部利直の有能な幕 Read More
宮城県仙台市北西部の船形山麓の山深い大倉の地に、定義如来西方寺があり、「定義さん Read More
天文10年(1541)、小野寺氏は角館城攻略に本腰をいれた。この時点では小野寺氏 Read More
戸沢氏の出自については様々な説があるが、現在の岩手県雫石町に小さな領地を有してい Read More
宝亀5年(774)の蝦夷による桃生城の襲撃と、宝亀11年(780)の、伊治公呰麻 Read More
南東北への大和朝廷の進出は古く、宮城県石巻市の日高見神社に伝えられる伝承では、景 Read More
葦名氏は、葦名盛氏の死後、後継を巡り大混乱となっていた。結局、佐竹氏、あるいは伊 Read More
現在の桧原湖のある地は、会津の葦名氏の北の境の地で、米沢の伊達氏への守りとして穴 Read More
鎌倉の二階堂氏の嫡流は、為氏が幼くして跡を継ぎ、須賀川は治部大輔行続がそのまま代 Read More
佐原十郎義連の子の盛連には6人の男子があり、長男の経連は猪苗代に、次男広盛は北田 Read More
福島県鏡石町に鏡沼(影沼)という沼がある。この地には、阿武隈川の支流の釈迦堂川が Read More
佐竹氏は、豊臣政権下では五大老に次ぐ影響力を持ち、石田三成とは昵懇であり、上杉景 Read More
伊達政宗の祖母で伊達晴宗の正室の久保姫は岩城左京太夫重隆の娘で、笑窪姫とも呼ばれ Read More
結城氏はムカデ退治で有名な、藤原秀郷の後裔頼行を祖とし、朝光のときに結城を領して Read More
出羽で南北朝期の争乱が収まった頃、伊達氏は伊達郡から周囲に領土を拡張していた。そ Read More
将棋の町で有名な天童市では、例年天童城があった舞鶴山で「人間将棋」が行われる。こ Read More
文治5年(1189)の奥州征伐の功により、大江広元は、長井荘ならびに寒河江荘の地 Read More
天正13年(1585)10月、二本松城主の畠山義継が、伊達輝宗を人質にして逃走、 Read More
佐竹氏は清和源氏義光流で、義光の孫・源昌義に始まる。源義光は「後三年の役」の際に Read More
楢葉氏、標葉氏、岩城氏は、ともに常陸大掾平国香の子孫安忠を祖とする同族であり、そ Read More
山形県山辺町の玉虫沼は、現在は農村公園として、湖畔にはキャンプ場やテニスコートな Read More
九戸政実の乱後、九戸城は蒲生氏郷により改修され、南部信直が三戸城からこの城に居城 Read More
三戸南部は、後継問題がくすぶり続けている中の天正10年(1582)、南部晴政が没 Read More
岩手県陸前高田市から岩手県奥州市にかけての一帯は、かつては伊達藩領であり、キリシ Read More
大山捨松は旧姓山川、幼名さきという。会津藩の国家老、山川尚江重固の末娘として、安 Read More
羽川新館は韮山館とも称され、由利十二頭の一人とされる羽川氏の居城である。秋田県秋 Read More
奥州藤原氏の最後の当主、第四代藤原泰衡は、藤原秀衡の次男として生まれた。異母兄に Read More
茶右衛門館は、別名森山館といい、青森県深浦町の千畳敷から奇岩が続く、深浦海岸の南 Read More
歴史的には、文治5年(1189)、奥州合戦により平泉藤原氏が滅亡し、その後、源頼 Read More
イザベラは、日本の奥地への第一歩を踏み出した。日本の人々や文化が、自分を受け入れ Read More
盛岡藩初代藩主、南部利直の正室、源秀院(武姫)の墓は、盛岡市の光台寺にあり、「ム Read More
福島市山口の安洞院の地は、信達札所第二番目の霊地であり、また文知摺石をめぐる伝説 Read More
福島県の南会津地方には、高倉宮以仁王の伝説と、尾瀬大納言藤原頼国の伝説が今に伝え Read More
慶安4年(1651)の由井正雪の乱に加担し、捕縛され磔となった丸橋忠弥は、出羽山 Read More
元和8年(1622)最上騒動により最上山形藩が改易となり、その旧領は細分化され、 Read More
南北朝期からの津軽の名家の北畠氏は、天正6年(1578)、大浦為信の攻撃の前にあ Read More
大浦氏が鰺ヶ沢の種里城から、津軽平野に大きく進出する形で大浦城に進出したことで、 Read More
津軽氏の出自には諸説があり、特に南部側では主筋の南部氏に背いたものと強調するよう Read More
宮城県白石市には、真田幸村の墓とともに、幸村の子供の於梅と大八、於菖蒲の墓がある Read More
白鳥城跡は村山市の西北西、白鳥の戸沢中学校の裏山にある。白鳥氏が寛治5年(109 Read More
花巻は、観光資源として宮沢賢治とその作品を扱っているようで、いたるところに賢治関 Read More
小野小町は平安時代の歌人の1人で、六歌仙、三十六歌仙の1人に数えられている。また Read More
福島県須賀川市の十念寺境内には犬の石像が置かれ、「犬塚」と呼ばれている。須賀川は Read More
現在の山形県朝日町に春日沼はあり、その沼の東側にあった八ツ沼城の落城伝説を伝えて Read More
現在の秋田県由利郡は、戦国期には、由利十二頭と呼ばれる小勢力が割拠していた地だ。 Read More
仙台市青葉区の仙台東照宮の周辺には、古くから「狐伝説」が多く伝えられていた。現在 Read More
この地の「仙台藩殉難碑」は、慶応4年(1868)7月、城下およびその近郊において Read More
鳥海山は、山頂に雪が積もった姿が富士山にそっくりなため、出羽富士とも呼ばれ親しま Read More
源頼朝は、奥州平泉の藤原秀衡の死により跡を継いだ藤原泰衡に、義経を捕縛するよう朝 Read More
宮古湾を臨む湊大杉神社境内に、東郷平八郎揮毫による宮古湾海戦碑が建っている。宮古 Read More
南部盛岡藩は、二代藩主南部重直以降も、藩主の長子相続がスムーズではなく、その都度 Read More
盛岡南部藩は、初代藩主南部利直の下、九戸政実の乱の先例などから、家臣の多くを処罰 Read More
伊達政宗は、力量、打ち物にすぐれたものを選び黒脛巾組という忍者集団を創設したとさ Read More
山形県鶴岡市の郊外に、肥後熊本藩初代藩主、加藤清正の墓がある。 加藤清正は、豊臣 Read More
きみまち阪は、県立自然公園になっており、秋田県有数の桜、ツツジ、紅葉の名所である Read More
東北地方には南北朝期の争乱に関わる伝説が多く残っている。宮城県栗原市若柳の地に残 Read More
現在、海上自衛隊大湊地方隊のある地には、かつて海軍大湊警備府があった。この地は、 Read More
松島は、松尾芭蕉が訪れ「笑うが如く」と評し松島を遊覧し、松島の月を愛でた。しかし Read More
寛政4年(1792)にラクスマン来航事件が起きると、東北地方諸藩には幕府より蝦夷 Read More
後藤寿庵は、江戸時代初期に切支丹弾圧が激しくなりつつある時期に、ローマと連絡がと Read More
伊達政宗は、天正13年(1585)8月、小浜の大内定綱攻撃に米沢から軍を発し、大 Read More
天正15年(1587)9月、最上勢と東禅寺勢は大宝寺氏を攻め、尾浦城を落とし大宝 Read More
戦国時代の庄内地方の有力な武将は、大宝寺(武藤)、土佐林、来次、砂越 の各氏で、 Read More
満天姫(まてひめ)は、徳川家康の異父弟で下総関宿藩主松平康元の娘。伯父である家康 Read More
初版20171017 827view 福島城址は、十三湖の北岸に面する標高約20 Read More
初版20170722 289view 細谷十太夫直英は、石巻の鋳銭場の役人で、5 Read More
初版20170710 4.9kview 日本の最後の海軍大将となった井上成美 Read More
初版20170307 822view 第二次世界大戦で、日本軍はビルマ国境に Read More
北部王家六代義祥の養子となり北部王家の正当性を握った蛎崎氏に対して、南部氏は、う Read More
初版20170228 377view 下北半島の西側の九艘泊には、源義経主従が九 Read More
初版20170223 205view 現在の三沢基地の東側の淋代海岸は、昭和6年 Read More
この須賀川の暮谷坂には、三千代姫の悲しい話が今に伝えられている。 須賀川の地は二 Read More
初版20161202 34view 昔、吉原に石名という遊女がいた。石名はもとは Read More
初版20161113 9.7kview 戊辰戦争の際、二本松藩は奥羽越列藩同盟に Read More
初版20161029 122view 盛岡藩の下級武士の家に生まれた横川省三は、 Read More
初版20160910 71view 平藩の最後の藩主は安藤対馬守信正で、井伊直弼 Read More
初版20160909 1000view 宮城県亘理町の山深い地に、隠されたように Read More
初版20150115 72view 戊辰戦争時の宮古湾海戦では、東郷平八郎や土方 Read More
初版20150807 1180view 伊達輝宗は、政宗やその若い家臣らの相馬氏 Read More
初版20150804、1170view、good5 伊達政宗の曾祖父稙宗は、天文 Read More
山内氏の出自に関しては、藤原秀郷流とするもの、藤原師尹流とする二説がある。すなわ Read More
五郎八姫(いろはひめ)は、文禄3年(1594)6月、伊達政宗と正室の愛姫との間に Read More
留守氏は頼朝の奥州征伐後、陸奥国留守職に任命された伊沢左近将監家景を祖としている Read More
三陸中部の閉伊郡から気仙郡の一帯は、中世には閉伊氏により支配されていた。閉伊氏は Read More
横手城の東3km程のところに、滝ノ沢という景勝地があり、かつてこの地には塩釜桜が Read More
慶長5年(1600)、6月17日、政宗は関ヶ原の戦いを前にして、徳川家康より、会 Read More
豊臣秀吉の死後、慶長5年(1600)6月、徳川家康は会津征伐のため出陣した。家康 Read More
慶長3年(1598)豊臣秀吉の死後、石田三成と徳川家康の対立が深まると、上杉景勝 Read More
慶長3年(1598)8月、豊臣秀吉が伏見城で死去すると、政権内部での対立が表面化 Read More
山形県尾花沢市の市街地から南東方向、銀山温泉に向かいおよそ8kmに、この地を支配 Read More
大槌城は、南北朝期に、遠野横田城主阿曽沼朝綱の次男大槌次郎がこの地方を分知され、 Read More