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六代持詮の代には、和賀氏の同族争いに、稗貫・斯波・南部氏などとともに、公方大崎氏の軍勢が出動するなど、奥州探題として一定の影響力は持っていたようだ。しかし教兼の代の応仁元年(1467)、京都において「応仁の乱」が勃発し、このころになると、南奥の伊達氏の勢力が伸び、大崎氏のもつ奥州探題の権威を実力でしのぐようになっていた。

伊達氏は奥州諸氏の家督争いに後楯になるなどしたことから、奥州諸氏は、探題である大崎氏の指揮権から脱し、伊達氏に従う武士も現れてきた。社会には下剋上の風潮が起きつつあり、大崎氏の探題としての権威や機能も次第に失われていった。

応仁2年(1468)、北上川流域の登米・本吉・栗原・胆沢地方において、一大争乱が発生した。また、重臣の氏家氏の反乱もあり、大崎・葛西領内にまたがる争乱となり、この間、大崎教兼は居城を追われる事態も起きた。

この北上川流域の争乱に対して、大崎氏は家中の反乱の鎮圧はもとより、葛西・柏山らの諸氏を従わせることもできず、周辺に援助を求め、伊達氏にまで派兵を求めなければならない有様だった。九代義兼の時の長享二年(1488)、佐沼城主らの有力家臣が義兼に背き、大崎氏はふたたび「家中大乱」となった。この領内の反乱を義兼は鎮圧できず、伊達成宗に援助を求め、ようやく内訌は鎮圧された。

義兼の跡を継いだ高兼は早世、家中も混乱の中にあり、大崎氏は探題としての権勢を大いにうしなった。一方、大崎氏の内訌に援助の手を差し伸べた伊達氏は着実に勢力を拡大し、伊達稙宗の時の大永五年(1525)稙宗は陸奥国守護職に任じられ左京大夫に任官した。これにより、探題職の権威は完全に失墜し、伊達氏と大崎氏の勢力関係は名実ともに逆転した。

大崎氏家中は、一族・豪族はそれぞれが領主であり、その共同体であり、それを結び付けていたのは、奥州探題という権威だった。その権威が衰退していく中では、大崎氏が領袖として家中をまとめていくことは難しかった。

天文三年(1534)、志田郡泉沢の新田頼遠が諸氏を誘って反乱を起こした。大崎義直は頼遠討伐に出陣したが、大崎氏一族の古川・高泉・一迫らの諸氏や重臣の氏家氏も頼遠に味方し、この乱は大崎家中を二分する一大争乱となった。大崎家中における反義直勢力は次第に勢力を増し、義直の力だけでは反乱鎮圧が困難になってきた。そのため、義直は伊達稙宗に援助を求めた。稙宗は伊達氏の勢力を大崎に伸ばす好機としてこれを承諾し、みずから三千余騎の伊達勢を率いて師山城に入り、反義直勢力の拠点である古川城攻略を開始した。

古川城をめぐる攻防戦の大勢は二日間で決し、敗れた古川氏は、燃え落ちる古川城とともに滅亡した。ついで稙宗は、義直とともに反乱軍の最後の拠点である岩出山城を攻撃し、長期戦となったが、ついに城方は降伏、首魁の新田安芸は出羽に落ちていった。ここに、数年におよぶ「大崎の乱」は収まった。

乱後、稙宗はその軍事力を背景として、大崎高兼の娘の梅香姫に次男小僧丸(のちの義宣)を娶せ、小僧丸を高兼の跡を継いでいた義直の養子とし、大崎氏の家督を譲らせた。

梅香姫は、近隣に聞こえた美貌の持ち主で、若武者ぶりの凛々しい小僧丸とは似合いの夫婦となり、当時の大崎氏の本拠城の小野御所で仲睦まじく暮らしたようだ。しかし、大崎家中にはこの縁組をよしとしない者も多く、大崎高兼の死後、家臣団は十二代義宣(小僧丸)派と十一代義直派に分かれ、反目しあうようになった。いつしか小野御所(現古川小野)に住まう義宣(小僧丸)と、名生城(現古川市名生)に移り住んだ義直と両派に分かれて対峙するようになった。

この頃、伊達家は十四代稙宗と十五代晴宗の親子間に争いが起こった。この争いは、婚姻関係により、伊達氏の影響を大きく受けていた南奥州の諸大名をも巻き込み、天文11年(1542)から7年間にわたる大乱になった。

大崎家では、大崎義宣(小僧丸)は稙宗側につき、大崎義直は晴宗側につき、相争う形となった。義宣(小僧丸)はこの戦で、軍を率い、あるいは稙宗の使者として領内諸将をまわり活躍し、序盤の稙宗側優勢の原動力となった。しかし晴宗側は次第に稙宗側を切り崩し優位に立つようになり、結局、時の将軍の足利義輝の裁定で、稙宗は丸森城へ隠居し晴宗側の勝利となった。

この結果、大崎氏は、晴宗側についた大崎義直が実権を握ることになり、義宣(小僧丸)は、幽閉されることになった。しかしその年の8月この地方を地震が襲い、梅香姫が倒れた家屋の下敷となり落命した。義直はこの混乱に乗じ義宣(小僧丸)に刺客を向け、義宣はただちに出奔し、石巻の葛西氏を頼り、石巻市辻堂まで逃げたが追いつかれ殺害され、大崎氏12代の大崎義宣の名も消された。享年25歳だった。

その後、大崎氏は名生城の義直が実権を握り、その跡は大崎義隆が継いだが、父義直と同様に家臣団の反抗や、葛西氏との抗争に明け暮れることになる。