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福島県須賀川市の十念寺境内には犬の石像が置かれ、「犬塚」と呼ばれている。須賀川は、江戸時代は白河藩領で、奥州街道屈指の宿場町として独自の町人文化も花開いた。江戸中期には俳諧も盛んで、松尾芭蕉は『奥の細道』の旅で、須賀川宿に8日間も滞在し、この十念寺も訪れている。

十念寺は、もともと庶民信仰の報恩念仏道場として開かれたささやかな寺だったが信仰を集め、次第に興隆に向った。この寺の大檀家に、この地方で代々庄屋を務めていた市原家があり、安政2年(1855)にはこの市原家から女流俳人市原多代女が出ている。

この市原家に、シロと呼ばれている白毛の秋田犬が飼われていた。シロは、人間の言葉がなんでもわかる利発な犬で、買い物など家の手伝いもよくして、町中でも評判の犬だった。

市原家では、当主は毎年、伊勢の皇大神宮神楽祭りに参拝していたが、ある年、当主が病気になってしまい、伊勢参りに行くことができなくなった。さて、どうしたものかと皆で相談し、利発なシロに代参させようということになった。

家人は、シロに道中の路銀と、道順を記した帳面、「人の言葉が分かるので道順を教えてあげてください。シロを助けてあげてください」というメッセージを頭陀袋に入れ、伊勢に向けて出立させた。

シロは須賀川から奥州街道を通って江戸に入り、東海道から四日市経由で伊勢に向かった。その途中、シロは道行く人々に餌をもらったり、泊めてもらったりしたようで、人々はそのお金が必要な時には、頭陀袋から少しお金を受け取り、袋の中の帳面に受け取りを記入した。

市原家の人々は、朝晩神棚に灯明をあげ、無事を祈っていたところ、シロは二ヶ月後の夕方、無事に須賀川に帰って来た。頭から下げた頭陀袋の中には、皇太神宮のお札と、奉納金の受領や食べ物の代金を差し引いた帳面も入っており、旅の途中にも多くの人々に世話になったことが伺えた。それもこれも、お伊勢様のおかげと家人らは感激し、帰ってきたシロをいたわった。

その後シロは、「主人に代わってお伊勢参りをした忠犬」と町中の評判になり、皆から可愛がられていたが、その三年後に没した。没後、シロは市原家の菩提寺である十念寺に葬られ、シロを模した石像付きの立派な犬塚が建てられた。

江戸時代には、現在のように、観光のための旅行は禁じられていたが、お伊勢参りのような信仰の為の旅は許されていた。特にお伊勢参りは、全国的なブームとなり、当時の日本の総人口の5分の1に当る300万人もの人々が参詣したという。

このシロの話の為かどうかはわからないが、江戸時代後期には、犬の代参も多かったようで、お伊勢参りをしている犬である事がすぐわかるように、御幣や注連縄が付けられ、また、犬の首には道中のお金などがくくりつけられて送り出された。

人々は、そうした犬が来ると皆で餌をあげたり泊めるなどして、必要なお金を貰ったりもするが、逆にお金を足してあげる人も多く、犬の首に掛けられている袋のお金が増えていくこともあった。また、袋が重くて犬が可愛そうだと、一枚の銀貨に両替してくれる人までいたという。

当時の人々は信心深かったこともあり、犬からお金を盗むような人はなく、人々の善意に支えられながらお伊勢参りを行うことができた。そこには人間と犬の距離の近さと、江戸時代の庶民の暖かい心が感じられる。

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