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山形県天童市千布石倉

2017/08/22取材

松尾芭蕉と曽良は、尾花沢で、山寺の話を聞き、予定を変更して山寺に向かった。その途中、この地を通り、「まゆはき」の句を詠んだという。

まゆはきを 俤にして 紅粉の花

 

曽良日記によると、

二七日
天気ヨシ、辰ノ中刻尾花沢ヲ立ツテ立石寺ヘ趣ク。清風ヨリ馬ニテ舘岡マデ被送、尾花沢二リ元飯田一リ舘岡一リ余六田。二リ、天童、山寺、未の下刻ニ着ク、山形に趣カントシテ止ム、是ヨリ仙台ニ越ス道有リ、関東ノ道九十九里余。
二八日
馬借テ天童ニ赴ク、六田ニテ又内蔵ニ逢フ、立寄レバ持賞ス、未ノ中刻大石田、一栄宅ニ着ク、両日共危クシテ雨ニ不逢。

とあり、又、俳諧書留に前書きとして「立石ノ道ニテ」「出羽の最上を過て」とある。

当日は石倉周辺より見渡す紅花畑が満開で、月山の遠望も見事な風景であったろう、芭蕉はこの地で「まゆはき」の句を詠んだと言われている。

昭和56年(1981)、有志により芭蕉の山寺への旧道の分岐点に、この句碑が建立された。