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山形県高畠町夏茂

震災前取材

 

この地は置賜地方のほぼ中央部にあり、南北に米沢街道が通り、東は高畠、西は川西の 小松に向かう交通の要衝である。この地はかつては長井氏が支配しており、弘安年間(1278~87)資福寺は屋代荘の地頭、長井時秀入道西観により開創されたと伝えられる。

200m四方に、二重の堀と土塁を巡らし、城郭寺院であったとも考えられ、東北有数のもので、関東十刹の一つに数えられた。鉄庵無涯など、多くの名僧を輩出し、この地域の学問文化の中心地であった。

その後、この地は伊達氏が支配するところとなったが、伊達氏も長井氏同様深く帰依し、手厚く保護している。このため、伊達氏ゆかりの地ともなっており、資福寺跡には、九代伊達儀山政宗の妻の紀氏のものとされる墓があり、また伊達政宗の父伊達輝宗と輝宗に殉死した重臣遠藤基信の墓がある。

戦国時代、伊達輝宗は、この地に嫡子政宗の師として虎哉宗乙を招いたことは有名で、これにより資福寺の名声は一層高まった。

現在資福寺跡には、伊達輝宗らの墓の他は、かつての堀跡と土塁跡が残っているのみである。

2 thoughts on “資福寺跡

  1. どうも初めまして、愛知県岡崎市在住の萩原 邦弘(はぎわら くにひろ)と申します。

    拙者も伊達輝宗 公の菩提を弔いたく、資福寺跡の情報を収集しておりました。

    そこで、貴公のホームページを拝見しました。
    大変参考になりました。
    本当にありがとうございますv(^_^v)♪

    近日、お参りに行って参る予定です。

    (私事で大変恐縮致しますが、拙者は祈祷師にて、まだ自称ですけど(^◇^;)、毎日数回、仏壇、神棚、お墓参りをして感謝と天下静謐をお祈り致しております)

    では、失礼致します。
    この度は、誠にありがとうございます(⌒▽⌒)

    祈祷師・萩原邦弘

    1. すぐ近くに伊達輝宗公の墓もあります。また二本松周辺には、栗ノ巣古戦場など、輝宗に関する伝承が多く残っています。こちらにお出でになる時には、そちらも回られたらと思います。

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