山形県山辺町大蕨

震災前取材

 

山辺町大蕨にある玉虫沼は、室町時代後期にこの地域を領していた武田信安とその家臣の安達縫之助が灌漑のためにつくった人造湖である。この完成により、流下の村々は旱魃の心配がなくなった。

現在は農村公園として、湖畔にはキャンプ場やテニスコートなどが整備され、またヘラブナ釣りのスポットして賑わっている。

この沼には次のような伝説が伝えられる。

むかし、京から父を探してこの山辺へやってきた玉虫という名の娘がいた。ところが父の行方はわからず、途方にくれているところをこの地の城の賄い娘として雇われることになった。働き者の玉虫は皆の人気者になり、また玉虫の炊くご飯は香がよくたいそうおいしかったので、城の殿様の耳にも入り寵愛されるようになった。

ところが、これを妬んだ他の女中達は、ことあるごとに玉虫をいじめ、ある日女中の一人が、玉虫の炊いたご飯に蛇を入れ、玉虫が炊いた釜の中に蛇が入っていたと言いふらした。この話はすぐに城中に広がり、玉虫はいたたまれなくなり、夜中に城を抜け出しこの沼のほとりにやってきた。すると沼の波間に行方知れずの父の姿が浮かび上がってきた。玉虫は父の姿に引き寄せられるように沼へと入っていき、二度とその姿を見たものは無かった。

しかし、月の青く光る夜に、玉虫姫の姿が水底に見えるという噂が村人の間でささやかれるようになり、以来、この沼を玉虫沼と呼ぶようになったと云う。

また、次のようにも伝えられる。

小百合の花が一面に咲き、沼が美しく色どられる農繁期になると、山野辺城主の山野辺義忠は、農民達の慰労のために領内を巡視するのが習わしだった。

ある日のこと、領内巡視の折に、大蕨の庄屋宅に立ち寄り休息したところ、給仕に出た娘は大変美しく、その坐作進退はしとやかで、たちまち殿様の目にとまった。娘の名は「お玉」といい、殿様は大変気に入り、庄屋に城中に召出すようにと言いおき帰城した。

それから間もなく、お玉は侍女「玉虫」という名で山野辺城の奥勤めをすることになった。城中での玉虫は、殿様からも奥方からも非常に気に入られ、御膳部役という大役を仰せつかった。玉虫は、この大役を果たすために神前に祈願し、その満願の日に蛇を一匹授かり、この蛇を使うと飯がうまく炊けると告げられた。

玉虫のたいたご飯は大変おいしく、殿様もたいそう気に入っていた。また玉虫の美貌は、お城勤めの若侍の間に、誰が彼女を射とめるだろうかなどと、評判になっていた。しかし、他の侍女達の妬みを買い、いつしか「玉虫は殿様に蛇飯を食べさせている」、と悪意に満ちた噂が立ち始めた。

それとは知らない玉虫は、毎朝早くから、飯炊きに、掃除にとかいがいしく働いていた。奥方はこのような玉虫を見て、あらぬ噂を晴らしてやろうと、こっそり厨にしのび、彼女が炊いておいた飯釜の蓋を開けてみた。するとそこには、白い飯の上に蛇がとぐろを巻いたまま湯気を立てていた。その夜、玉虫の姿は城中から消え、翌日、沼に浮いていた玉虫が見つかった。

それ以来この沼は玉虫沼と呼ばれるようになったが、沼は何時行ってみても、水面が清らかに輝いている。これは、玉虫が毎朝早く掃除をするからだと村人達は噂するようになった。5月の玉虫明神の縁日に、東の空がほのぼのと白むころに行って見ると、玉虫が御殿勤めのときの美しい着物を着て、箒で水面を掃いている姿を見ることが出来ると伝えられ、これを見た人は一生幸運に恵まれると云われている。

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