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山形県村山市楯岡楯

2013/04/22取材

 

本覚寺は、天正元年(1573)に創建された。由来書によると、牛魂供養が始まりとされ、次のような伝説が伝えられている。

元亀3年(1572)、この地一帯は大干ばつとなり、村人は困りはてていた。このため、村人が行者に伺いをたてると、「最上川に碁点という難所があり、その水底に竜宮があって、これに生牛を供えれば必ず雨が降る」というお告げがあった。これを信じた村人らは、ある若者の連れていた牛を奪い、最上川の碁点の淵に沈めてしまった。その後三日の間、豪雨があり、干ばつの危機を脱した。

村民らは、牛の持ち主の若者に明銭三貫目を支払い牛の代償にしようとしたが、若者は、「あなた方の中にひとりでも情け深い人が居れば牛を殺さずとも済んだことなのに」と言い、これを受け取らなかった。村人らが困っていると、通りがかった僧がこの話を聞き、牛の死体を上げて法名を授け、七日七夜の念仏をあげ、牛の菩提を弔った。また村人らに 「牛といえども仏性がある。三宝に帰依し懺悔しなさい」と説いた。

村人らはこれを聞き、皆合掌し信心を起こし、この地に道場をつくったのが本覚寺の始まりとされる。

その後、数回の火災で寺塔は焼失し、現在の本堂は文化元年(1804)、山門は文化5年(1808)に再建されたもの。

 

・本覚寺の左右の松

本覚寺には県の天然記念物に指定されていた「左右の松」と呼ばれる、枝ぶりの見事な松があった。臥龍型の赤松で、樹齢約400年で、江戸時代の天明期(1781~1788)に、俳人鈴木左右が寄進し植えられたもので、江戸時代に名声を博し、遠く長崎より、その噂を聞き、清朝の高官も訪れ、「臥龍松園」の墨跡を残した。しかし、2014年秋に、惜しくも松食い虫により枯死し、翌年春に伐採された。