山形県寒河江市白岩

震災前取材

 

古刹慈恩寺と寒河江市街を結ぶ道に、全長55m、幅6mの臥龍橋が架かっている。橋の北側は岩 壁の切り通しで、慈恩寺方向には白岩隧道がある。現在の橋は三代目で、昭和12年(1937)に架けられた。

臥龍橋は、江戸初期の元和8年(1622)。白岩の領主酒井長門守の命により、現在地より200mほど上流に架けられたが、幾度となく流出した。橋脚が流出の要因となっていたため、文政10年(1827)、柴橋代官だった池田仙九郎により橋脚のない刎橋(はねはし)として現在地に架けられた。水流が激しい場所や深い谷に橋を架ける技術で、当時の土木技術の集大成とされる。

当初は、龍の背骨のような姿から、「龍脊橋」と称したが、その後「臥龍橋」と呼ばれるようになった。

この橋には、次のような伝説が伝えられる。

昔、ひどい日照りが続いた。雨はまったく降らずどこの井戸も底をつき、ついに寒河江川も干上がってしまった。飲み水もなく、乳飲み子がいるのに乳も出なくなり困り果てた女が、手に空の柄杓を持ち、水を求めて村外れまで歩いて来た。

するとどこからか、「ぽちゃーん、ぽちゃーん」とかすかに水の落ちる音が聞こえて来る。女は耳をすませ音のする方に近寄って行った。すると岩に食い込んだ松の木の根元の岩の割れ目から、かすかに水がしみ出ているのを見つけた。

女は喜び、柄杓を押し当て、気の遠くなるような長い長い時間を費やし、ようやく柄杓一杯の水を汲み溜めた。女は柄杓をそっと口元に運び水を飲もうとしたその時、後ろから女の声がした。女が驚いて振り返ると、そこには若い娘が立っており、水を分けてくれるように頼んだ。

女には帰りを待つ乳飲み子があり、その子のためにも水を分けてやることは出来ないと考えそれを断り、柄杓を口にあてて水を飲もうとした。するとそのとき、若い娘はその場に崩れ落ちるように倒れてしまった。

その様を見た女は、大切な水ではあったがその娘に飲ませた。娘は柄杓の水を飲み干し、礼を言うと、驚くことを語り始めた。「実は私は人間ではなく龍なのです。しかし水がなくなり空を飛ぶ力も失ってしまいました。いただいた水でどうやら力が戻りました」。そして、恩返しに、この地に留まり橋になると云う。すると突然風が巻き起こり、あたり一面が暗くなり娘の姿は見えなくなってしまった。

女が我に返ると、寒河江川に立派な橋が架かり、そして手にした柄杓には、再び水が満たされていたと云う。里人達はこの話を聞き、いつしかこの橋を「臥龍橋」と呼ぶようになった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です