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山形県寒河江市白岩

震災前取材

 

寒河江大江氏の一族白岩氏が本拠とした城で、寒河江大江氏の本拠の近く、庄内への要路六十里越街道を抑える地につくられた。

白岩氏は、寒河江氏、溝延氏とともに、寒河江の戦国領主として成長していたが、次第に最上氏から圧迫され、白岩氏は寒河江大江氏とともに最上義光に抵抗し滅亡した。白岩氏滅亡後、松根光広が白岩城に入部、1万2千石を与えられた。

関ヶ原の戦いの折、上杉勢は直江兼続を総大将として米沢口から最上領に攻め込んだが、上杉の別働隊として、庄内尾浦城の下吉忠が六十里越を越えて最上領に攻め込み、白岩城は攻め取られた。

関ヶ原の戦いが上杉の属する西軍の敗北で終わったことを知った上杉勢は急遽自領に引き上げたが、下吉忠の庄内勢は取り残され、白岩城に篭るが最上に降伏する。

その後、義光の死後、最上家親が家督を継いだが、この家親の死をめぐって、白岩の松根光弘と楯岡光直は鋭く対立し、結局元和8年(1622)に最上藩は改易となる。