山形県鶴岡市羽黒町手向字手向

震災前取材

手向(とうげ)地区には、江戸期には336の宿坊が軒を連ねたという。今でも冠木門を構え、注連を張った宿坊が多く残る。

羽黒山社領は、山上、山下、村に区分され、山上は妻帯しない清僧の居住する坊が31坊あった。山下が手向地区で、約2kmにわたり宿坊360余りが並び門前町を形成していた。坊は格式を有する御恩分と平門前に大別され、格式が高い坊には知行が与えられた。有力な坊は知行を与えられていたが、下級の坊は自活しなければならなかった。

松尾芭蕉と曽良は、清川から徒歩で狩川、添津、山崎、三ヶ沢、添川を通り手向に入った。手向ではこの地の俳人の呂丸を訪ね、彼の案内で日の落ちた参道を南谷の別院へ向かい宿をとった。芭蕉らは、南谷に6泊、月山の山小屋に1泊し、7泊8日を出羽の霊山で過ごすことになる。

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