山形県天童市荒谷

震災前取材

 

この地天童市荒谷は、正平6年(1351)11月、南朝の忠臣北畠顕信が、北朝の陸奥探題吉良貞家、貞経父子と会戦し、これを敗走せしめた地と伝えられる。北畠神社は、これを由緒として、大正7年(1918)北畠親房、顕信を祭神として建立された。

天童周辺は、南朝方の勢力が強く、天童の舞鶴山には足利尊氏を破る活躍を見せながらも戦死した北畠顕家の末子、北畠天童丸が拠ったとされる。天童丸は山寺立石寺の協力を得て北朝に対抗し、この荒谷の地は、天童と山寺を結ぶ要衝で天童屋敷などの地名も残る。

しかし、天童丸はその後敗れ、津軽の鯵ヶ沢に逃れ、津軽の浪岡御所の北畠氏の祖になり、北畠顕信も後に津軽に逃れ、川原御所の北畠氏の祖となったとされる。

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