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山形県天童市小路一丁目

震災前取材

 

仏向寺は、弘安元年(1278)、時宗一向派の祖である一向俊聖上人が開山したと伝えられる。

天童頼直が鎌倉にいたころ、一向上人の高徳を伝え聞き、所領の出羽での教化を願った。上人は、これを聞き入れ、武蔵の国から数万の信者とともに念仏を唱え、奥州路を教化しつつ天童に入ったと云う。

天正年間(1573~92)に、天童氏は最上義光と対立し、義光は天童に侵攻した。仏向寺は天童氏と共に戦い、一度は押し返したが、天正12年(1548)に天童城は落城し、天童氏は没落し仏向寺の堂宇も兵火にかかりことごとく消失した。

しかしその後現在地に復興され、時宗十二派中天童派の総本山を経て現在は一向派と合流して中本山となっている。現在の本堂は文政8年(1825)に再建されたものである。例祭では「一向上人踊躍念仏」が踊られ、山形県指定無形民俗文化財に指定されている。

本堂には阿弥陀三尊像を祀り、境内には大日堂や地蔵堂、満月の碑、大日板碑などがある。また境内の龍神堂は、一向上人が教化し、苦しみから救い上げたという龍女を祀っていると伝えられ、雨乞いの神として信仰を集め、旱魃になると雨乞いの供養が行われると云う。