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山形県新庄市鳥越

震災前取材

 

鳥越館は、鳥越八幡神社の背後の山に築かれた城館跡である。築城時期、築城者など、詳細は定かではないが、小田島氏の一族が築いたものと考えられる。

南北朝期の貞和3年(1347)、小田島氏は北条氏との争いに敗れ、最初は東根に城を構え小田島氏を名乗った。しかし足利尊氏の時代、小田島庄は清川の結城顕朝に換給され、小田島長義は新庄小田島に移った。この後、鳥越に城を築いたものと考えられる。

一説には、新庄の地名は、この小田島氏が鳥越に城をかまえ、それを中心に新しく開いた村だから「新庄」となったとも云われている。
鳥越八幡神社の社伝には、鳥越館は清水大蔵大輔の家臣、鳥越九右衛門の居城があったとされ、戦国期には小田島氏の一族の鳥越氏が、大蔵の清水氏の支配下に入ったとも思われる。

現在の鳥越八幡の社殿の位置が大手門だったとされ、城跡は、神社の背後から登ると、何段かの平場が見られ、櫓台跡らしい地も見られる。さらに進むと、堀切や土橋らしい地形があり、最高地に主郭と思われる平場があり、祠がたっている。