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秋田県男鹿市船川港椿字家ノ後

震災前取材

 

男鹿市の椿地区は、 男鹿半島の南側にある小さな漁港で、能登山はその漁港を見下ろす小高い丘である。この地はツバキの自生地の北限地になっており、春になると山全体が赤い花で覆われる。この男鹿の地は、江戸時代の北前船の寄港地になっていた。

この地のツバキの花をめぐっては次のような話が伝えられている。

昔、この港には春になると都の商人たちが布地や櫛やかんざし、薬、焼き物に塗り物、それに玩具など、珍しい品々を船にのせてやってきた。小さな港なので宿屋などはなく、商人たちは顔見知りの家に泊めてもらっていた。

その中に、この年初めて港へやってきた若者がいたが、知り合いがいないため困っていると、親切な男が若者を泊めてやることになった。その家には、美しくて働き者の娘がいて、アワビやワカメなどを採って父親を助けていた。娘は若者に都の話を聞きたがり、若者も親切に話をしてやっているうちに、お互い強く惹かれるようになっていった。

しかし、この地での仕事も終えて若者は都へ帰ることになった。若者は帰るときに夫婦になる約束をし、「あなたは、都に咲くツバキの花のようだ。次の春には、あなたを都に連れて行くつもりだ。今度くるときにはツバキの種をもってくるから、海の見える能登山に二人で植えよう」と言い残し船出した。娘は能登山の上から若者の船をいつまでも見送った。

一年経ち、待ちこがれた春が来て、娘は毎日能登山に登り南の沖を眺めていたが若者は来なかった。二年目の春も、若者は姿を見せなかった。三年目になると、村人の中には「口のうまい都の男にだまされたんだ」と噂する者もおり、口さがないこのような話が娘の耳にも入り、娘は次第に不安をつのらせ、やがて思いあまって海に身をなげてしまった。

しかし、三年目の春にその若者は娘を迎えにこの港にやってきた。若者は娘を嫁にもらうのに恥をかかせまいと考え、金を稼ぐために南の国々を廻り商売をしていて月日が経ってしまったのだった。若者はようやくの思いで金を貯めて、心を躍らせこの港へやってきたが、すでに娘はこの世の人ではなかった。

若者は嘆き悲しみ、一緒に登った能登山の頂きに足を運び、都から大事に持ってきたツバキの種を植えた。その後ツバキは、娘の若者への思いのように、いつの間にかどんどん増えて、一山すべてツバキで埋めつくされた。

その後、この男鹿にある小さな港は、いつしか「椿」と呼ばれるようになったと云う。