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秋田県秋田市八橋
2016/07/27取材
この川は、秋田北IC付近から発し外旭川、八橋、寺内などを通過して秋田運河に注ぐ。古くから水面に石油特有の油膜が揺らめき、「臭い川」として知られていた。この草生津川(くそうづ)川の名は、石油の和名である「臭水(くそうず)」から来たものとされ、寺内地区には「寺内油田(あぶらでん)」という地名があり、寺社で使用する灯明の油を採取したと伝えられる。
秋田久保田藩の御用油商であった千蒲善五郎は、秋田周辺での油田の兆候に興味を持っていたが、明治元年(1868)、八橋の戍川原で臭水(石油)の湧く「ツボ」があるのに着目し翌年採油に成功した。これが秋田県内初の油田開発とされる。善五郎は、先進地の新潟県の蒲原地方で精油技術を学び、蒸留釜二基を導入して、明治3年(1871)現在の八橋運動公園の地に秋田で始めての製油所を建てて灯油の生産を開始した。
明治5年(1872)には、東京から石油ランプを取り寄せてランプと灯油の販売を試みたが、当時の精製技術は粗悪で悪臭が発生し、売り上げは芳しくなかったという。その後、本格的に石油産業が活発になるのは明治20年代になってからである。
戦後、この川の周辺に、帝国石油により八橋油田が開発され、昭和30年代には年産30万キロリットルに達し、国内最大の油田だったが現在は1割以下で産油量は減少傾向にある。