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秋田県秋田市保戸野金砂町

震災前取材

 

金砂(かなさな)神社の創建は大同元年(806)、常陸の久慈郡金砂郷村に勧請されたと伝えられるが詳細は定かではない。佐竹氏の祖先の、秀義、真義、義舜が敵の攻撃を受けて危機に陥ったとき、この金砂神社のある金砂郷村にのがれ一命を拾ったと伝えられる。そのため、佐竹氏歴代の崇敬を受けた。

佐竹氏が秋田に移った後、慶長9年(1604)には秋田市寺町に、宝永7年(1710)には現在地に遷座し、社領百石を受けた。元日の祭事は盛大で、城からは藩主の代参もあった。

佐竹義宣の娘を祀った嬥櫻(かがさくら)神社も合祀している。このため女性のための祭りも行われ、祭日には花火が打ち上げられ、門前には、針、紅、お白粉売りなどがならび、女性の参拝客で賑わい、「嫁えらびの祭り」とも称せられた。

この嬥櫻神社については、次のような伝説が伝えられる。

武家の娘(義宣の娘?)の佐保姫は、醜いアバタ顔だったために、周囲は姫のためを思い、鏡を与えず、姫は自分の容貌を知ることなく育った。長じてから、父の近習に恋をしたが、その容貌ゆえに思いがかなうことはなかった。姫はそのことを知らずに毎日嘆き悲しんでいた。

ある日、井戸をのぞいて見ると、そこには見かけない醜い顔の女が映っていた。その顔が自分の顔と知った姫は、驚き悲しみ、恋がかなわなかった真実を知り、悲しみのあまりそのまま井戸に身を投じて死んでしまった。

これを哀れんだ父は、姫を桜神社として祀り、それからというものは、金砂神社に女の願い事を祈ると叶えられると伝えられ、女性の参詣者で繁盛するようになったと云う。