山形県酒田市中町一丁目

震災前取材

 

鶴岡を出た芭蕉と曾良は、内川、赤川、最上川と川舟で下り酒田についた。当時酒田までは舟で7里、約半日を要した。曾良随行日記は以下のように記している。

一 十三日 川船ニテ坂田ニ趣。船ノ上七里也。陸五里成ト。出船ノ砌、羽黒ヨリ飛脚、旅行ノ帳面被調、被遣。又、ゆかた二ツ被贈。亦、発句共も被為見。 船中少シ雨降テ止。 申ノ刻ヨリ曇。暮ニ及テ、坂田ニ着。玄順亭へ音信、留主ニテ、明朝逢。

伊東玄順は医者であったが、この地方の俳壇の中心的人物であった。芭蕉はこの家に象潟行きの前後を通じ8泊した。酒田は商人の町であり、上方との交流も多く文化水準も高く、不玉宅などでたびたび句会が開かれた。「おくのほそ道」では、酒田での句として次の二句がのせられている。

あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ

暑き日を 海に入れたり 最上川

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