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山形県寒河江市白岩字陣ケ峯

2013/06/07取材

 

この地は、明治元年9月20日に、桑名藩・庄内藩と西軍の間で戦闘が行なわれた地である。この5日後の9月25日に庄内藩は降伏し、この地での戦闘が、出羽地方における最後の戦闘となった。

この時期は、すでに奥羽越列藩同盟は瓦解し、米沢藩、仙台藩は降伏し、会津鶴ヶ城も落城寸前 の時期だった。桑名本隊は、9月16日寒河江に着き、この地の庄内藩兵と合流した。

西郷隆盛率いる西軍2500は、降伏した米沢藩兵を先鋒とし庄内の鶴岡城に向け兵を進めた。9月20日朝、長岡山で桑名藩兵と庄内藩兵300と遭遇、戦闘になった。

庄内勢と桑名勢は、果敢に防衛戦を展開したが衆寡敵せず、包囲網を突破し、中世の要害のこの陣ヶ峰に陣をしいた。左沢から桑名の神風隊も駆け付け、寒河江川をはさんで、2時間ほど銃撃戦を展開した。しかし東側から尾根伝いに進軍してきた西軍の別動隊に横腹をつかれ、結局抗しきれず、夜間行軍で庄内藩領に逃れた。

この戦いで、桑名軍の戦死者は19名、新政府軍は10名が戦死した。