スポンサーリンク

山形県東根市東根甲

2017/08/22取材

 

黒鳥観音は、養老7年(723)、大和の長谷寺十一面観音を勧請し、後年その祠を山腹に建てたとも伝えられる。また一説には、貞観13年(871)、堂の前の愛宕神社と共に、郡司伴直道の奉祀とも伝えられている。

山頂には、その境内だったと思われる、径約50mほどの空堀が現存している。その時代々々に、山麓に、あるいは山腹にと何度か再建されたと考えられている。

現在の堂宇は、寛政2年(1790)の建築とされ、梵鐘は、延宝、享和、昭和と三度奉納されている。

最上三十三観音の第十九番札所となっており、若松観音に永正6年(1509)、奉納の順礼納札があることから、その時期にはすでに観音霊場順礼が行われていたと思われる。

その後、順礼も次第に盛んになり、観音講が栄え、十八夜供養塔も建立されている。