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山形県東根市本丸東

2017/08/22取材

 

国分寺薬師堂の創建は、天平9年(737)に、聖武天皇の命を受けた僧行基が、薬師如来、日光、月光、十二神将を刻してこれを祀ったのが始まりとされる。

その後の仁寿元年(851)に真済が中興開山し、名称も護国山薬王院国分寺から医王山薬師寺と改名した。

慶長6年(1601)、最上義光は、関ヶ原の戦いに乗じて、横手の小野寺領を攻めた。このとき、里見景佐は、薬師寺六供坊の僧兵を率いて従軍し、戦利品として薬師如来を持ち帰り、薬師堂を現在地に移し安置した。

元和8年(1622)に、最上義俊のとき最上氏が改易され、東根城主の里見氏も阿波へ配流となり、薬師寺も一時荒廃した。

しかしその後、山形城主となった松平忠広が、延宝6年(1678)に堂宇を改修し、現在に至っている。

本尊の薬師如来像は、高さ三尺、膝張り二尺二寸の檜寄木造りで、漆箔塗りの座像である。平安中期の作とされ、豊満温和な像である。昭和41年(1966)に市指定有形文化財に指定されている。