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山形県村山市長島

2014/03/19取材

 

三ヶ瀬(みかのせ)は、最上川中流域にあり、碁点、隼の瀬とともに、最上川舟運の三難所の一つである。この地で最上川は大きく蛇行し、流れも急になるところで、松尾芭蕉も『おくの細道』に「碁点、隼、三ヶ瀬というおそろしき難所あり」と記している。

最上川は日本三大急流の1つに数えられ、置賜、村山、最上、庄内の県内全域を川筋として日本海に入る大河である。総延長229kmの流路すべてが山形県に属し、1県のみを流れる川としては日本最大である。

最上川での舟運は、古代、中世ごろから部分的に行われていたが、近世に入り物資流通の範囲が拡大し、最上川舟運の利用も多くなった。しかし、最上川中流域のこの地には、岩礁が露出し、船の通行が困難な、碁点、三ヶ瀬、隼の瀬があり、山形城主最上義光は、岩礁の大開削を行い、最上川は山形県の物資流通の大動脈となった。

三ヶ瀬は、深場以外のところは水面すれすれまで岩礁が迫り、この地では、細長い岩礁が三層をなして縦に並んでおり、船はその岩礁の間を縫って往復した。三ヶ瀬の名は、その三層の岩礁に由来するという。