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山形県村山市富並

2015/03/21取材

 

別名:富並城

鬼甲(おにかぶと)城は、富並川に面した比高80m程の丘陵に築かれている。南に最上川の急流、難所があり、西には深い渓谷、北は富並川の断崖に面した堅固な山城である。蝦夷館の特色を持つ古い城塞と考えられているが、現在の遺構は、戦国期のもので、数次にわたって改造、拡張されている。

主郭の東側には、数段の郭が設けられており、南東部に虎口があったと考えられる。南に二の郭と三の郭が配され、二の郭と三の郭は空堀で区画されている。西側にも大きな段築があり、腰曲輪配され、下段には空堀があった。

平安時代後期の前九年の役の際に、落浜入道大林(だいりん)政国が築城し、源頼義軍と戦い攻め滅ぼされたという。この落浜入道は、京の都で落剝し、一族を連れてこの地に移り住んだと伝えられ、安倍一族と友好関係を持ったものかもしれない。この地での戦いは、富並八幡神社の創建にも関り、史実と考えられるが、その後の江戸期の奥浄瑠璃の演目にもなったことで、詳細については創作によるものと考えられる。

その後、南北朝期には、安倍氏を祖とする白鳥氏が支配していたが、白鳥十郎が最上義光に謀殺され白鳥氏が滅亡した後は、最上氏が支配するところとなり、三千石で富並彦一郎の居城となった。