山形県新庄市五日町

2015/09/14取材

 

円満寺は大同2年(807)に、坂上田村麻呂が開いたのが始まりと伝えられる。当初は、現在の秋田県大仙市小杉山に境内を構えた天台宗の寺院で、慈覚大師が彫ったとされる十一面観音を本尊として広く信仰された。中世に入ると、現在の秋田県仙北市角館町を本拠に周辺を支配していた戸沢氏の庇護を受け、寺領500石を領していた。又、当時の当主戸沢盛安の兄である堂珍房(戸沢盛重)が住職を務めるなど、戸沢氏との関係が深く歴代の祈願所となっていた。

慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの結果、戸沢氏は角館から常陸松岡藩4万石に移封になると松岡に移り、さらに元和8年(1622)に松岡から新庄藩6万石に移封されると、新庄城の鬼門にあたる現在地へ移転となった。

円満寺は歓喜天霊場でもあり、「お聖天様」として親しまれ、現在も信仰を集めている。歓喜天は正式には「大聖歓喜天(だいしょうかんきてん)」といい、同じ仏様でも、歓喜天は天部に属し、仏法を守護し、仏道を修行する人々を守護する仏法の神である。ご利益は、自分だけでなく互いに「歓び喜ぶ」ところに真髄があるとされる。

延享元年(1744)、境内西側に淡島堂が建てられ、堂の中には、前仏の十一面菩薩、弘法大師坐像、甲子波子利大黒天、不動明王、また生まれ本尊の八体仏などが祀られています。

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