スポンサーリンク

山形県新庄市鉄砲町

2015/09/14取材

 

長泉寺の山号は「亀棲山(きせいざん)」といい、次のような話が伝えられている。

新庄城が築造される以前の永禄年間(1558~70)、現在の最上公園周辺には大きな沼があり、広大な湿地帯が広がっていた。その沼には恐ろしい大きな亀が住んでおり、ときどき這い上がってきては、道行く人を捕らえて食っていたという。そのため、近くを通る人もいなくなり、ますます寂しいところになってしまった。

ある時、一人の僧がこの地を通りがかり、この話を聞き、仏の慈悲功徳によって罪深い亀を救ってやろうと言い、沼のほとりに庵を建て、昼夜の別なく一心に祈った。その後、何ヶ月か経ったある時、みなれない一人の白衣をつけた童子が現れ、頭を垂れて僧の読経を聞いていたが、読経が終わると静かに立ち去り、沼に身を投じた。以来再び、亀が現れることはなくなったという。

この話は近隣に広がり、庵主の高徳を慕い帰依する者が次第に多くなり、粗末な庵はやがて立派な寺に改修され、僧はこの寺に「亀棲山長泉寺」と命名し、開山となったという。

その後の寛永元年(1624)、新庄城築城に当たり、寺は現在の鉄砲町に移された。