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山形県米沢市館山

震災前取材

 

現在の米沢市立第三中学校の地は、日本で最初の人造絹糸(レーヨン繊維)の工場が建てられた地であり、第三中学校を見渡せる地に建てられた碑は、米沢が日本の化学繊維発祥の地であることを示している。

人造絹糸の製造技術はヨーロッパで開発され、明治時代の末期には、その製品が日本に輸入されるようになった。こうした中、当時の米沢高等工業学校(現山形大学工学部)の講師として赴任した秦逸三(はたいつぞう)は、人造絹糸を作る研究を進め、パルプから糸を得ることに成功し、「木から絹ができる」と人々を驚かせた。

大正4年(1915)、この研究を援助してきた東レザー(後の東工業)が、閉鎖されていた米沢製糸場跡を買い取り、秦逸三を工場長に迎えて人造絹糸の生産を開始した。独自技術による手探りの生産で試行錯誤の連続だったが、生産技術の確立に加え、第一次世界大戦で人造絹糸の輸入が減少したことから生産を伸ばし、大正7年(1918)には、東工業から独立して、帝国人造絹糸株式会社が創立された。同社は昭和37年(1962)、帝人株式会社と社名を変更し、化学繊維をはじめ、化成品、医薬医療等に業容を拡げ、グローバルに事業を展開している。

人造絹糸の生産は、その後、多くの企業が参入して急速に拡大し、日本は世界でも有数の生産国となった。現在では、人造絹糸から発展したいろいろな化学繊維が、産業資材、家庭用品、衣料品等、幅広く使用されている。