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山形県白鷹町鮎貝

震災前取材

 

「子守堂の桜」は、樹種はエドヒガンザクラ、樹齢は約1000年、高さ19m、幹回り約7.15mである。この場所は、かつての鮎貝城の一角にあたり、その名は、この桜の側に、籠守大明神を勧請した子守堂の祠があることに由来する。

この鮎貝の邑主の本庄家三代義長の子供は、いずれも病弱で早世であった。三女の以津子姫も病弱で、殿様はいつも気にかけ心配していた。

ある日、一人の童女がたずねてきて、これを以津子姫の子守にしたところ、病弱だったことが嘘のように丈夫に育った。

殿様はことのほかこれを喜び、ある日この子守に褒美を与えようと呼んだが、忽然といなくなってしまった。夕方になっても城にもどらず、まわりを探させたところ、桜の木の根元に履いていた草履だけが置いてあり、数日たっても戻ることはなかった。

本庄家の人々は、この子守は仏の化身だったのかもしれないと、籠守大明神を勧請し祠を建てて祀ったと云う。

以津子姫はその後も丈夫に成長し、それからは家系の絶えることもなかったと云う。