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山形県朝日町大谷字秋葉山

震災前取材

 

朝日町を走る国道287号線の西側に位置する秋葉山一帯を城域とする館である。

その築城時期や館主などは定かではないが、八ツ沼城を居城とした原美濃守の一族の城館だったとも考えられ、また、この地には、菅原道真の子孫が移り住んだ地と云う伝承も残り、この地の土豪の館であったとも思われる。

いずれにしろ、戦国時代後期の永禄8年(1565)、山形城主最上義光が八ツ沼城を攻めて原氏を滅ぼした時期に、この地一帯は最上氏の支配下に入り、秋葉山館も廃城となったと考えられる。

朝日町大谷の東部、国道287号線に接して秋葉山、愛宕山の2つのピークが連なり、東側の 秋葉山山頂が館跡であると伝えられる。遊歩道が整備され、全体が公園化されており、南側に栗木沢門、北側に粧坂門の2つの模擬城門がある。地形から考え、栗木沢側が大手、粧坂側が搦手と思われる。

秋葉山山頂部の円形の平場が主郭部で、西の愛宕山方面への鞍部に平場が数段設けられ、空掘状の地形も見られ、その北西尾根上に帯曲輪が多数配されていたようだ。また主郭部東側尾根上にも数段の平場が配され、最下段の曲輪下には深さ10m、幅5mに及ぶ堀切があるという。愛宕山頂には狭い平場があり、現在は小さな祠が祀られているが、物見台だったとも思われる。