山形県大江町左沢

震災前取材

 

左沢楯山城跡は大江町役場の北東にあり、左沢市街地を一望出来る楯山公園とその周辺部の山全体を城域としている。

14世紀後半、寒河江大江氏七代の大江時茂(ときもち)が、置賜方面に向かう街道を押さえるために三男元時を左沢に入部させ、元時は左沢氏を称して左沢楯山城を築いたと伝えられる。

この地は最上川流路の転換点であり、東西南北の街道が交差する交通の要衝でもあり、交通路を押さえるという意味で、中性城館としての大きな役割を担っていた。

その後、左沢元時は正平23年(1368)の漆川の戦いで、寒河江宗家と共に南朝方として斯波兼頼率いる北朝方と戦ったが敗れて自刃した。しかしその後も左沢氏が九代にわたってこの地を治めた。

その後、大江氏は天正12年(1584)最上義光に滅ぼされ、この地も最上氏の支配するところとなった。しかし元和8年(1622)に最上氏は改易され、鶴岡城主酒井忠勝の弟酒井直次が左沢に入封した。直次は左沢楯山城を廃し、小梁川の高台に小梁川城を築城し新しく城下を造営した。

左沢楯山城は自然の沢を巧みに取り込んで構成されており、城内には段状の郭や切岸、堀切等が良好な状態で残されている。城跡は城内を横断する蛇沢により、北側丘陵と南側丘陵とに分かれており、本郭の北側丘陵は「八幡座」「寺屋敷」、南側丘陵は「千畳敷」「八幡平」等の郭が中心となっている。

かつては全体で300棟もの建築物があったと云われている。本郭、二ノ郭、三ノ郭はそれぞれ分散して配されており、その全体を急斜面と切堀で囲んだ都市城郭だったとも考えられている。

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