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山形県南陽市漆山

震災前取材

 

珍蔵寺は、寛正元年(1460)に開山された。山号は鶴布山と号し、この地に古くから伝えられる「鶴の恩返し」を縁起とし、鶴女房の夫だった金蔵が仏門に帰依したのが開基とされ、鶴の羽根で織ったという織物が寺の宝にされていたという言い伝えが残されている。

現在でも、この地周辺には、鶴巻田、羽付、織機川など、鶴の恩返しにちなむ古くからの地名が数多く残されている。

 

・鶴の恩返し

昔、織機(おりはた)川のほとりの二井山に、金蔵という正直者が住んでいた。宮内の町へ出た帰り道、若者が一羽の鶴をしばっていじめていた。金蔵はあわれに思い、あり金を全て若者に与えその鶴を買い求め、なわをほどき放してやった。鶴は大空高く舞い上がり、どこかへ飛んで行ってしまった。

その夜、金蔵の家に美しい女が訪ねて来た。女は妻にして欲しい、何か働かせて欲しいという。何度ことわっても帰らず、金蔵は仕方なく置くことにした。その女は織物が上手で、織った布はとても高く売れた。

ある日のこと、女は「七日の間、決して部屋をのぞかないでください」と言い、その日から離れにこもり、夜も昼も、コットンコットンと機織りの音が続いた。七日目の夜、金蔵はまちきれず、一体何を織っているのかと、そっとすきまから中をのぞいた。そこには、やせおとろえた一羽の鶴が、己の羽をむしりとっては織り、むしりとっては織り、懸命に機を織っていた。

金蔵は驚きのあまり声をあげてしまった。この声に機は止まり、羽毛のほとんどなくなった鶴があらわれ、「私はごらんの通り人間ではありません。あなたに助けられた鶴でございます。見られてはここにいるわけにはいきません」と言い、羽根で織った曼荼羅を残し、いずこかへ去っていった。

その後、金蔵は感ずるところがあり僧となり、金蔵寺を開いたと云う。金蔵寺は、鶴の羽で織られた曼荼羅を寺宝とし、鶴布山珍蔵寺と改め称したと伝えられる。