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山形県長井市十日町一丁目

震災前取材

 

丸大扇屋は、寛永年間(1624~43)に十日町に進出し、蓑、草鞋、縄、五穀などの生活必需品の販売をはじめ、元禄7年(1694)に最上川上流の舟運が開通し宮舟場ができると、京都、大阪とも取引し、古手、木綿などの太物にも仕事を拡げた。また村山、北条から撰苧(よりそ)を集荷して、越後小千谷に売って業績を伸ばし、安永元年(1772)には三町五反の地主にもなった。文化年間(1804~17)頃から絹糸、真綿の仲買も行い、七代目忠兵衛政成は、宮村肝煎を務めた。

明治になると長井紬の生産を始め、また足袋、糸、小間物を多量に京阪、東京より仕入れて販売している。

現在の道路に面した建物は、嘉永元年(1848)に建てられたもので、格子の美しい店、小間屋門、店蔵と並び、長井の店屋造りの典型的な形を残している。また敷地内には、味噌蔵(天保3年)、主屋(明治23年)、蔵屋敷(明治31年)、新座敷(大正2年)と各時代の建物が並んでいるのも興味深い。