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山形県長井市幸町

震災前取材

 

明治42年(1909)頃から、国鉄長井線の敷設運動が高まり、その運動費を捻出するために、この地の町有林が伐採された。

しかし、金田勝見氏らは、伐採された跡地がただ荒れ果てていく姿を見るにしのびず、明治43年(1901)、この地を開墾し、あやめ数十株を集め育て、金田氏が茶店を開いたのがあやめ公園の始まりである。

その後、各方面から優良種のあやめを求め、公園の拡張を行った。さらに、昭和5年(1930)に山形の新聞社が、「山形県一名所」の人気投票を行ったとき、全町民が、この「あやめ公園」を県一の名所にしようと、町外の縁故をたずねて投票を頼み、ついに「山形県一名所」となった。

この「県一名所」の投票運動により住民の意識が高まり、その後さらにあやめ公園を実質的な県下一に、そして東北一にという高まりになり、現在のあやめ公園になっている。

現在は、株数は約3万株、その種類は約5百種、面積も4haとなり、6月から7月にかけて、県内外から多くの人が訪れている。