山形県長井市大町

震災前取材

 

別名:卯の花館、小桜城

宮村館跡は、米沢藩の青苧御蔵跡、旧西置賜郡役所跡などと重複しており、また市街地でもあることから改変が激しく、遺構はほとんど見られない。

宮村館は、康平年間(1058~65)、安部貞任の娘の卯の花姫がこの地に館をつくり、源義家と戦ったと伝えられる。

城は平城で、館の周りに水堀と土塁を巡らした方形の館であったと思われる。

中世にはこの地は米沢の長井氏の支配下にあったが、置賜に勢力を拡大してきた伊達氏により滅亡し、この地は伊達氏が支配するところとなった。伊達稙宗と晴宗が争った天文の乱が起こった時期には、この館は片倉伊賀守の居館で、伊賀守は晴宗側に属し、片倉党や周辺の地頭を率い、強敵の鮎貝、大立目、最上の連合軍を押し戻し、晴宗の置賜制覇の糸口をつくった。この功により、片倉意休斉景親が館主となった。

天正15年(1587)、鮎貝宗信が山形の最上義光に内通した際には、伊達政宗による鮎貝討伐の拠点ともなった。一説には、伊達政宗の片腕の、片倉小十郎景綱の居城であったとも云う。

豊臣秀吉の奥州仕置により、この地は伊達氏の支配から蒲生氏の支配下になり、城は廃城になった。その後、上杉氏がこの地を支配し、この地には上杉藩の青苧御蔵が置かれた。

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