山形県長井市草岡

震災前取材

 

この地は、背後に急峻な山を控え、雨が降れば河川はすぐに氾濫し、日照りが続けば水が涸れ、常に水に悩まされ続けてきた。寛文10年(1670)、おけさと勘三郎夫婦により「おけさ堀」が築造されたが、まだまだ十分なものではなかった。

幕末期にこの地には、「難村常附御用係」と呼ばれる役人が配置されて村の振興策が講じられ、堤の築堤。堀の開削などの水利事業が行われた。

この中里堤の本格的な築堤は、慶応元年(1865)、村人の腕と肩だけに頼って築堤され、その後も浚渫や拡張が行われた。その後の土地改良 事業による幹線水路ができるまで、この地域一帯の広い水田の生命源となってきた。

現在は、周辺一帯が公園として整備され、四季の姿を水面に映している。

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