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山形県長井市草岡

震災前取材

 

赤地蔵堂は、文化4年(1807)年に、洞松寺十六世文明恵紋大和尚により建立された。当時多くの子供が亡くなり、その供養のために建立したものと伝えられる。

建立当時は大変に豪華なもので、外装は朱塗りで、堂の内面の柱は黒漆塗りに金箔がおされ、合天井一枚一枚には極彩色の絵が描かれていた。また土台石の下には、一字一石が敷き詰められていた。この外観から「赤地蔵堂」と呼ばれるようになったと云う。

かつては「ねずみ除け地蔵」としても信仰され、特に蚕の掃き立て前後などには多くの参詣者が訪れた。またこの地は、土葬の時代には、草岡地区の葬儀引導場として使用されていた。

この地蔵堂の脇には、地蔵堂を建立した文明恵紋大和尚の碑、「おけさ堀」を開いた勘三郎の碑、一身を犠牲にして青苧の重税から村人を救った青木新左衛門の墓碑がある。