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山形県山辺町大寺

震災前取材

 

足利尊氏、直義兄弟は夢窓国師疎石の勧めにより、後醍醐天皇の冥福を祈り、元弘の乱以来戦没した将兵の霊を弔うために、一国一寺の安国寺を設置した。

全国で66ヶ寺あったといわれ、出羽国では斯波兼頼が、暦応2年(1339)、この大寺の地に建立して開基となり、夢想国師が開山となった。

当時は南北朝時代で、安国寺は民衆の信仰の中心としての位置づけの他に、南朝側に立つ寒河江の大江氏に対し、北朝方の勢力拡大の役割を担い、戦時体制を整えた寺院城郭であった。その境域は大寺地区全域を占め、寺院の周辺には武士団を居住させ武力の強化を図った。さらに大寺周辺の杉下、蓮台寺地区にも配置して備えを固め、東北方面の備えとして砦も配された。

元和8年(1622)に庇護者の最上家が改易になると、庇護者がいなくなり、以後は民衆の檀家が中心となり安国寺を支えた。寛延2年(1749)や宝暦元年(1751)に火災にあったが、それでも宝暦3年(1753)に民衆の浄財により再建され、山門、鐘楼は宝暦14年(1764)に建てられた。夢窓国師の作と伝えられる庭園は、その一部を残すのみだが、禅の心を極めた名園として名残を今に伝える。