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山形県寒河江市慈恩寺

震災前取材

 

慈恩寺は神亀元年(734)、行基が奥羽巡錫の折にこの地を訪れ、都に帰ってから聖武天皇に奏上し、天平18年(746)、勅命により婆羅門僧正が開基した。

延久元年(1069)、寒河江荘は藤原摂関家の荘園として成立し、藤原氏の庇護をうけていたと考えられる。天仁元年(1108)には、鳥羽天皇の勅により奥州藤原基衡が本堂の改修と諸堂の造営を行った。古くからから天台宗、真言宗兼学の寺として栄え、また出羽三山とともに修験道の寺としても栄えた。

鎌倉期にはこの地の領主大江氏が諸堂の改修、造営、社領の寄進など力を添えている。大江氏が滅亡すると最上氏がこれに代り元和4年に(1618)に最上義俊が本堂を再建した、元和8年(1622)最上氏改易後は幕府より2千800石余の朱印が与えられ、勅願寺として崇敬された。しかし明治維新後御朱印が停止され、衰退した。

堂内には、京文化を伝える平安期、また鎌倉期の仏像が多数あり、それらの仏像はいずれもわが国の仏教美術の至宝として重要なものである。境内には本堂、山門、薬師堂、三重塔などが立ち並び、かつての隆盛を伝えている。

 

・慈恩寺宝蔵院表門

室町様式の四脚袖付き門で屋根は切妻造り。この門には宝蔵院で修行した多くの弟子やこの寺に関係のある僧の護摩札が打ち付けられていた。慈恩寺山中最古の建造物である。