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山形県村山市楯岡晦日町

震災前取材

 

このケヤキは、もともと石割ケヤキであったものが、明治11年(1878)、当時の山形県令三島通庸によって行われた切通し開削工事の際に、岩の片側が持ち去られたために、根が肥大化して巨岩を抱きかかえ、双頭の龍のような姿になった。

もともと楯山の一部であるこの愛宕神社境内地は、岩盤と岩塊からできており、表土はほとんどない。樹木の生育には適さない環境だが、ケヤキは岩塊の隙間に侵入して根を張る特性があり、この境内に自生するケヤキは、大小あわせて12本あり、岩塊とあいまって、独特の景観を見せている。