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山形県村山市楯岡湯沢

震災前取材

 

最上満直は、応永13年(1406)、四男の満国を楯岡の地に配した。満国は楯岡氏を名乗り、楯岡城を居城とし、日山良旭大和尚を招き祥雲寺を開いた。祥雲寺の位置は、楯山城の北東側に位置し鬼門封じに配されたと伝えられる。

祥雲寺は、以降最上楯岡氏累代の菩提寺となり、嘉吉2年(1441)、満国が没すると祥雲寺に埋葬された。現在その墓石と伝えられる五輪塔が残る。又、祥雲寺は出羽七福神八霊場の第七番として毘沙門天が祀られている。