山形県鶴岡市田麦俣字七ツ滝

震災前取材

 

この田麦俣地区は全国でも有数の豪雪地帯である。湯殿山の大網口にあり、江戸時代には出羽三山参詣のための道者宿を営んだり、強力(ごうりき)や馬子を生業として生活していたが、明治維新後は、宗教集落的な性格は薄れ、わずかな田畑を耕し、養蚕と炭焼を生業とするようになった。

田麦股には、かつては多層民家が多く見られた。この多層民家は、寄棟造りの破風窓のある妻の部分を切り取り、養蚕場として十分な採光と通風の窓としたもので、これにより、美しい輪郭と反りをもった「かぶと造り」という独特な外観の民家ができあがった。

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