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山形県鶴岡市馬場町

震災前取材

荘内神社は、庄内藩の、初代藩主酒井忠次、二代家次、三代忠勝、九代忠徳を祭神として祀っている。

元和7年(1622)、最上藩が改易されると、翌元和8年(1623)に酒井忠次が庄内に移封され、以来明治期まで歴代250年に亘り善政を敷いた。

天保11年(1840)、庄内の酒井氏を越後長岡へ移封の話が持ち上がった。これに対し、翌天保12年(1841)1月、庄内藩の領民は江戸へ出向き幕府に領地替え取り下げを直訴した。従来、領民の直訴といえば藩政の非を訴えるものであるが、領民による藩主擁護の行動は前代未聞であり、このことは幕府役人より賞賛され、この移封は撤回された。

このように、庄内藩では、領主と領民の関係は、他藩と比べて良好であったが、戊辰戦争後の大変革後も、庄内藩の領民の多くは旧領主を慕い、庄内一円の人々の総意により、明治10年(1877)、鶴ヶ岡城本丸跡に、庄内の開運招福、家内和合、産業繁栄の総鎮守として建立された。