山形県天童市天童字城山

震災前取材

 

この神社は、天童藩家老の吉田大八守隆を祀った神社で、後に、日清、日露、太平洋戦争の戦死者を合祀し、護国神社となった。

明治元年(1868)1月、天童織田藩は新政府から奥羽鎮撫使先導を命じられ、織田氏の重臣の吉田大八が新政府軍の奥州の道案内役を務めることになった。吉田は奥羽鎮撫副総督である沢為量を先導したが、幕府側の庄内藩は天童藩を攻め、その猛攻の前に天童藩は大敗を喫し、天童藩の城下は焼き討ちにあった。

翌明治2年(1869)5月、奥羽列藩同盟が結成されると、小藩の天童藩もそれに加わわざるをえなく、新政府軍を先導した吉田大八は切腹させられた。しかし、新政府軍の反攻で天童織田藩は同年9月には降伏した。

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