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山形県鶴岡市安丹

震災前取材

天正16年(1588)、越後の本庄繁長とその実子の大宝寺義勝は、最上義光と東禅寺義長によって奪われた庄内奪還のため庄内に侵攻した。そのときこの地で自害した最上の武将の草刈虎之助を祀り、祠が建てられた。

東禅寺義長と最上援軍の草刈虎之助は千安川付近の十五里ヶ原でこれを迎え撃った。繁長は兵を二手に分けて、一手を夜陰にまぎれ東禅寺、最上勢の背後に回りこませ、これを挟撃した。大激戦が行われたが、戦闘は、ほぼ申の刻には決した。

草刈虎之助は、千安川を守ってこの地で一歩も退かず戦ったが、東禅寺、最上勢のことごとく兵を討たれた後、川べりの雑木林に走り込み自害した。