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山形県金山町金山
震災前取材
山形県金山は、秋田県と山形県の県境にあり、古来より出羽国を繋ぐ重要な地であった。天平9年(737)、大野東人の東征の折りに、多賀城から秋田城へ向かっていた東人は、比羅保許(ひらほこ)山に駐屯し、そこに雄勝の蝦夷の長が恭順のため訪れている。東征の後、秋田城へ向かう官道が開削され、天平宝字3年(759)に平弋(ひらほこ)駅が設置された。また、神室山の山岳修験の拠点にもなり、竜馬山や金山町中心部の諸寺院などは、神室山の修験にまつわるものである。
戦国時代には、最上義光によって金山城が築かれ、小野寺氏攻めの最前線となった。現在の金山町中心部の街割は、このころに作られたと云われている。江戸時代には羽州街道に沿って金山宿と中田宿が置かれ、宿場町として栄えた。金山宿から先は、秋田県まで森合峠~主寝坂峠~雄勝峠と厳しい峠が続くため、参勤交代をする秋田、津軽の諸大名は必ずこの地に宿泊し、本陣、脇本陣が置かれていた。明治期には官軍側になった秋田久保田藩と仙台藩兵が激しく戦った地でもある。
明治期には、「杉の美林が失われる」という理由で奥羽本線の敷設を拒否し、村制施行以来町域の変更がなく、昭和の大合併、平成の大合併と幾度もあった合併の流れに加わらなかったことを町の誇りとしている。
現在、人口は約7千人で、町域の4分の3を森林が占め、この地の金山杉は有名である。町並みは、白壁を用いた「美しく古びる」を目指した金山型住宅が並び、落ち着いた町並みを見せており、景観施策に意欲的な町として複数の町並みコンクールにおいて受賞している。
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