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山形県最上町大堀

震災前取材

 

瀬見温泉は、平泉へ落ち延びる途中の弁慶が開湯したと伝えられ、この地には義経伝説が多く残る。

文治3年(1187)、源頼朝に追われた義経主従は、船で鼠ヶ関に上陸し、由良、鶴岡を経て最上川を上り、新庄から亀割峠を超えた。

しかしここで、かねて身重の北の方が急に産気づき、途方にくれた義経は、亀割山中の観音堂に北の方を休ませ、弁慶は産湯を求めて沢を下った。

弁慶は、湯煙が立ち昇る川辺をみつけ、その川辺の大岩を薙刀で突き破ると、不思議にも白龍昇天のごとくお湯が吹き出たという。

このお湯で、まもなく生まれた亀若丸の産湯を使い、この地で数日を過ごし、北の方の産後の回復を待って、再び平泉へ向かったと云う。

瀬見温泉を後にした義経主従は、その後、平泉へ向かい、鳴子温泉や栗原寺などに伝説を残している。

 

・湯前神社

建立の年代は定かではないが、現在の堂は享保年間(1718)頃に再建されたと伝えられる。祭神は、湯の守護神である薬師如来と不動明王が祀られている。