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山形県最上町大堀

震災前取材

 

義経主従は兄の頼朝に追われ、奥州平泉を目指して都を落ち延びた。鼠ヶ関付近に上陸し、加茂を通り最上川を上り、新庄から亀割峠を抜けてこの地に到った。

このとき、身重だった北の方が、亀割峠で産気づき、男子を産んだ。この赤子は亀若丸と名付けられた。亀若丸を生んだ北の方のために、この地に産屋を建て、北の方はここでしばらく養生したと伝えられる。後に里人が、山神社の祠を建てた。

かつてはこの近くに、弁慶が笈を掛けて休んだという「笈掛け桜」があったという。