山形県鶴岡市大網字入道

震災前取材

大日坊は、大同2年(807)空海弘法大師の開山、弟子である渡海を開基として開かれたと伝えられる。出羽三山参道のうち大網口に位置し、当初は湯殿山瀧水寺金剛院と号した。出羽三山神社では、蜂子皇子を出羽三山の開祖としているが、大日坊では 弘法大師を開祖としている。
また、湯殿山は往時女人禁制の秘境であったため、大師は女人の心をあわれみ、この地を選び清め、湯殿山大権現を自ずから刻し、お沢八万八千仏をまつり、女の湯殿山として建てたとも伝えられる。

この大網の地名は、湯殿山の本地仏である大日如来と、月山の本地仏である阿弥陀如来を合わせた「大阿弥」から来ており、地元では、大網を、空海によって聖地として定められ、清められた地とし、湯殿山を高野山と対なる聖地としている。

湯殿山派4ヶ寺の1寺で、古くから出羽三山に対する山岳信仰、修験道の寺のひとつとして栄えた。寺勢がさかんになるとともに、増坊、修行道場が必要となり、執事本坊、講堂も兼ねた大日坊が建立された。その信仰は広く東北一円、関東にまで及んだ。

慶長8年(1603)、徳川家康は江戸幕府を開き、秀忠を二代将軍とした。慶長9年(1604)に三代将軍家光となる竹千代が生まれ、その乳母に後に春日の局となるお福が選ばれ竹千代を養育した。しかし竹千代の三代将軍の跡目相続は容易ではなく、お福は、二代将軍徳川秀忠の病気平癒祈願を表向きの理由とし祈願来山し、竹千代の身体健固と将軍跡目決定を祈願したと云う。お福はこのとき、大日如来尊像を奉納し、また徳川家康没後に、家康の遺徳に感謝し、その冥福を祈るため家康の位牌を納め、後に徳川家の祈願所となった。

慶長19年(1614)には、金剛院瀧水寺には大伽藍が建立され奥の院大日閣としてまつられ、増坊の大日坊には大日如来を安置し本堂とし隆盛を極めた。寛永17年(1640)には、春日局の寄進で堂が建てられ、本尊はそこに安置され、徳川家光の武運長久が祈願されたと云う。

明治の神仏分離により、仏教寺院として出羽三山から独立し、昭和11年(1936)に地すべりの発生によって現在の場所へ移転した。

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