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山形県新庄市本合海
震災前取材
最上川が西に大きく迂回する位置に、その奔流に削られた白い断崖が見える。八向(やむき)楯はこの断崖上にある。南北朝時代の頃より、合海氏が代々楯主としてこの地にあり、この地方一帯に勢力を張っていた。
八向楯は南を最上川の急流と断崖、背後に二重三重の空濠と急坂で囲まれた堅牢な山城である。空堀で区切られた一の郭、二の郭、三の郭があったとされる。
合海氏は大蔵の清水氏と対峙していたが、清水氏は山形の最上氏と結び、この地でも最上氏の勢力が強まった。最上義光は、清水氏の養子となっていた三男の義親にこれを攻めさせ、義親はこの城の水の手を絶ち攻め落とし合海氏は滅亡した。その後は清水氏の馬上衆で重臣の、木戸周防が入り、本合海河岸を支配した。