秋田県横手市十文字町字大道東

2016/07/29取材

 

猩々の道標は、文化8年(1811)、建てられたもので、高さ87cm、幅43cmで、謡曲に登場する「猩々」の姿を形どり酒がめを前に右手に柄杓左手に盃を持っている。

当時この十文字の地は、狐や狸が住み着く十五野という一面の葦野原で、羽州街道と増田街道が交差していたが淋しいところだった。ここでは、雪の日とか、酒に酔ったりとかで、道行く人は時折道を踏み迷い、それらはおおかた狐か狸のしわざとされていた。

増田通覚寺十四世の天瑞師は、己の酒に酔いしれて踏み迷うことを戒めるとともに、この難渋を救うため「酒は好むが酔うてなお泰然、こころ清浄なる猩々(しょうじょう)の如くあれ」と願いを込め、猩々像に酒壷を抱かせ、方角地名を記して建立したのが猩々像の道標であるという。

その後、文化14年(1817)に、この辻に伊太郎という者が1軒の茶屋を建て、その8年後の文政8年(1825)には人家は9軒になった。天保11年(1840)には十文字新田村が誕生し、この頃から交通の要衝どして栄えるようになった。

碑は、天瑞和尚が自分で彫った石像に「猩々の左はゆざわ、右よこて、うしろにますだ、まえにあさまい」と刻され、その他に和尚の戯歌が刻まれている。

この猩々の酒を楽しむや止まる時は操巵動則提壷無思無慮陶々としてたのしむ、酔て妄念更になく縷々たる至誠の心起れば万善の感ずる所清浄ならずといふ事なし、心すなをなるにより此壷にいづみをたたへさづくる人多ければ常に心清浄なるに依て和語にしゃうじゃうと名付くものならんか、今この酒をたのしむ人此猩々の如くならんず、下心もちたまうべし
文化八のとし         東流山叟 誌        平鹿郡増田十文字 追分也

猩々は永く十文字地域の発展を見つめ続けてきたが、いたみがひどく現在は十字館に移されて保管・展示されており、その跡には猩々の道標石が建てられ、駅前に二代目猩々像がたっている。

謡曲「猩々」では
昔、唐土の揚子の里に、高風という親孝行な酒売りがいた。その高風の元に市が立つごとに酒を買って飲む客がいたが、その客はいくら飲んでも顔色が変わりもしない。不審に思って名を尋ねると、潯陽の海中に住む猩々だと名乗った。月の美しい夜、潯陽で高風が酒を持って猩々を待っていると、やがて猩々が海中より浮かび上がり、月と星の光りの中、葦の葉音や打ち寄せる波音、吹き渡る浦風の奏でる天然の秋の調べの中で、猩々は舞い出した。そして高風のこの世に珍しく素直な心を愛でて、又今迄の酒の返礼にと、酌めども尽きぬ不思議の酒壷を高風に与える。更に盃を交わす内に、さすがの猩々も酔い臥してしまい……と、そこで高風の夢は覚めたが、猩々の酒壷が残っていた。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です