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秋田県北秋田市阿仁中村

2016/04/05取材

 

この地域には、「七不思議石」の伝説が伝えられている。

 

・動石(ゆるぎいし)

天明の頃、大冷害のため凶作となり、農民はもとより、阿仁鉱山の鉱夫たちも苦しんでいた。鉱夫たちは一日二合五勺の捨扶持(すてぶち)では栄養不良となり、川辺に水を求めて倒れ、そのまま息を引き取る者も多く、死体るいるいとして悪臭を放ち、その死体の肉をついばむ鳥の飛び交う様は、地獄絵図のごとくであったと言われている。

当時は暦も不備で天候や気象の知識にも疎く、四季の変化と農耕の関連についてもよく知られていない時代だった。この頃、中村に伊三郎という百姓がいた。湿地を開き稲籾を蒔いたところ、天候にも恵まれて稲もよく育ち、稲刈りも済ませ、田圃の中にある、たたみ一畳半もある大石に背負った荷をおろして一休みして、その年の豊作を感謝したという。

ある年の秋、稲刈りのため田圃に入ったが、この年はまったく稲穂が出ず、一粒の籾もついていなかった。伊三郎はがっかりして田の中にある例の大石に腰を下ろしたところ、石がぐらぐらとかたむいた。驚いた伊三郎は飛びのいて大石を眺めたが、なんの変化もなかった。だが、よくよく見ると石のくぼみに水がいっぱい溜まっていた。

どうしたことだろうと、石にさわってみると大石はぐらぐらと動いた。伊三郎は、いつもの年だと石が動かないのにと不思議に思い、はっと気がついた。春に雨の多い年は石がゆらぎ、雨の少ない年は石が動かず、従って冷害もなく、豊作になることを知った。それから伊三郎は、春の田植えの時期に田の中の石のゆらぎを試して、その年の天候を占って作付けをしたという。