秋田県にかほ市象潟町一丁目塩越

震災前取材

 

むかし象潟に子どものない夫婦がいた。観音様に通い願をかけ、一人の女の子を授かった。タニと名づけられたその子はすくすくと育ち、やがて美しい娘に成長したので、父と母は、御礼参りのために諸国巡礼の旅に出ることにした。

父母は、諸国をめぐって巡礼を続け、旅の途中である夫婦にめぐりあった。その夫婦の話によると、同じように観音様に願かけをして男の子を授かり、同じ ように御礼参りの旅をしているということだった。男の子の名は小太郎といった。心を引かれあった二組の夫婦は、しばらく一緒に旅をし、やがてどちらからともなく、観音さまの御導きに違 いないのだから、タニと小太郎を一緒にさせてやりたいものだと語りあうようになった。二組の夫婦は、許嫁の約束をして、それぞれの故郷へ帰って行った。

父母が象潟へ帰りそのことをタニに伝えたところ、タニは観音さまの御縁を素直に信じ、まだ見ぬ小太郎に心を引かれてゆくのだった。幾日かかかって嫁入りの身仕度をととのえ、親子は松島へ旅立った。

しかし、はるばる松島に輿入れしてみると、夫と頼る小太郎はふとした病がもとで亡くなってしまった後だった。タニの驚きと悲しみは、はたにも気の毒なほどだった。

松島の舅と姑はもちろん、まわりの者達はみな気の毒に思い、国に帰りよき夫を求めるように口を極めてすすめたが、けなげなタニ女は亡き夫を弔い、老い先短い舅と姑に孝養を尽くしたいといってどうしても帰ると言わなかった。

松島にとどまり11年、真の親に対するような孝養をつくし、舅、姑が亡き後は瑞厳寺で髪をおろし、紅蓮尼の名をもらい、せんべいを商い、生涯を松島で終わったという。

松島の瑞厳寺の近くに「軒端の梅」という老梅があるが、この梅は、亡き夫の小太郎がことのほか大事にした梅だと言う。紅蓮尼は香ばしい梅の花を眺めるにつけ、亡き小太郎を思い悲しみ、あるとき紅蓮尼が歌を詠み枝に結びつけたところ、翌年は花が咲かなかったという。

移し植えし 花の主は はかなくに 軒端の梅は 咲かずともあれ

しかし、花が咲かなければまた悲しく、紅蓮尼は歌を詠み直して枝に結んだところ、その翌年にはまた花が咲いたという。

咲けかしな 今は主と ながむべし 軒端の梅の あらん限りは

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